こんにちは、柴田崚介です。
大学院に通いながら、高校非常勤講師をしています。
先日、下記のツイートをしました。
掃除するのは自分の身のまわりだけでOK。
— 柴田崚介@次世代の教育者×挑戦者 (@ryoispassion) February 9, 2020
極論しなくていい。
帰りのHRの時に、自分の机のまわり、ロッカーを整理する。→帰宅
他の場所は業者が。
大人になって求められるのは、自分の身のまわりを整理することだけ。
掃除をする背景に昔ながらの日本の価値観というのがあるのかもしれませんが。 https://t.co/3OcIAoiVQq
極論、掃除の時間はいらないです。
掃除がある背景には、日本ならではの文化があると思っています。
その中には無言で掃除をさせる無言清掃といったものがあります。
しかし、現実日本の教育界を見てみると、昔ながらの先生と生徒の関係は崩壊しています。
その中で、生徒に無言で掃除をやらせるのは難しいでしょう。
何のために掃除をしているのか。
一度しっかりと向き合うべきだと思います。
✔︎この記事を読んでわかること
・掃除は必要なのか、必要ないのか
・無言清掃がなぜ行われているのか
・掃除が行われている日本的背景
掃除は本当に必要なのか?
そもそも本当に掃除は必要なのでしょうか。
中学校、高校において基本的にある掃除の時間、学校を綺麗にするために行われています。しかし、その裏には教育的価値を求めて行なっている場合があります。
掃除は必要ないが、整理は必要
学校を勉強するための場所として考えるのであれば、掃除は必要ないですが、整理は必要です。
整理を行うことで、勉強効率が上がるからです。
自分で整理できる人の方が学習能力が高いといった研究もあります。
自分の知識を整理するためにも、自分の身のまわりの整理は必要でしょう。
つまり、自分の勉強スペース以外は掃除する必要も整理する必要もないわけになります。
掃除は業者に、整理は自分で
トイレや、廊下などの掃除は業者に任せることがベストです。
将来大人になった時に、求められるのは、自分の身のまわりのゴミを処理するであったりそのレベルです。この施設を一日使ったから、施設をみんなで掃除します。なんて聞いたことがないですよね?
例としてあげると、スペインなどの国のサッカー選手の使用後のロッカールームをみると、ゴミがそのまま放置されています。これは、「掃除をすることが仕事の人の仕事は奪ってはいけない。」という考えからです。
日本の人たちが海外に行った時に気を使って掃除をすることは逆に迷惑になっている可能性もあるということです。
よく先生たちは言います。大人になった時に困ると。ただ、学校内の掃除までは大人になっても必要ないわけです。
一方、整理は自分で行いましょう。
上記でも述べましたが、整理できる能力があるかないかはその人の学力に直結します。
学校生活では、自分の机の周りとロッカーを次の日勉強しやすいように整理する。これだけで十分です。
✔︎自分の身のまわりの整理だけでOK
学校は勉強をする場所である
無言清掃はなぜ行われているのか
掃除という大きなトピックではなく、その中の無言清掃に焦点を当てたいと思います。
無言清掃とは、10分間喋らずに掃除しましょう。のように無言で掃除を行うことです。
効率を上げるため?
無言清掃が行われている一番大きな理由が掃除の効率化にあると思います。
学校にはいろんな生徒がいます。言われなくても掃除する生徒、喋ってばかりで全く掃除をしない生徒、様々です。
生徒全員に同じように掃除を行わせるために無言清掃が生まれたと考えられます。
建前は「よし!今から10分間集中して掃除にみんなで取り組もう!」だと思いますが、その裏は全員に掃除をさせるためということです。
無言清掃にはその作業に集中して取り組むことで効率を上げるという面も少なからずあると思います。
全員に同じようにやらすことが正解なのか
最近では、生徒の個人個人の能力を尊重しよう。そんな雰囲気に世の中全体がなってきています。それ掘り下げれば、掃除をすることができない生徒、無言になれない生徒、様々な生徒がいるわけです。教育において、個人を尊重する時代になってきているのであれば、掃除をできない子も尊重しなければいけないわけです。
掃除をすることができない子だけやらなくていいとすれば、真面目に掃除をやっている子たちから不満が出ます。
その時点で、全員に〇〇をさせるという考え方は崩壊していることになります。
学校内においての個人の尊重をしていくためにも、生徒には最低限自分のことは自分でやること以外求めてはいけないことになります。
✔︎全員に同じように掃除をさせようということがもう崩壊している。
新たな仕組みづくりから行う必要性も?
掃除が行われている日本的背景
みなさんはなぜ掃除を行いますか?
日本人の多くが疑問すら持たずに無意識に使ったものは片付けたり、掃除したりすると思います。
外食した時に食器を重ねるなど。
日本ではそれらが当たり前でも、海外に行くと当たり前ではないことに気づきます。
トイレ掃除やゴミ拾いで運がgetできる?
何か大事なことがある前に、トイレ掃除やゴミ拾いをすると運も拾うことができると聞いたことはありませんか?
これがまさしく日本的考えですよね。
掃除をすることはいいことである。そう無意識のうちに思い込んでいるということです。
でも、今ある日本の文化のものの多くがこういった背景から生まれていると思います。
外国人が日本に訪れて感じる綺麗さというのは日本人の1人1人が無意識に意識していることの塊でもあるとも言えますよね。
全てを見直す時代
日本では今ブラック校則なるものが見直されています。
無言清掃もそのうちの一つでしょう。国際的になり、いろんな選択肢を持つことができるようになってきた結果だと思います。
学校に行かないということも昔では考えられなかったかもしれませんが、今では選択肢のうちの一つとして当たり前になってきています。
学校に行かず、その時間をプログラミングなどを勉強して、大人より稼いでいる中高生もいる時代です。
昔からある日本人らしさと呼ばれるようなものも見直す時代になってきているのかもしれません。
✔︎掃除が行われているのは昔からの日本的背景
時代とともに変わって行くべきもの
結論
今回は、無言清掃は効果があるのかということをテーマに解説してきました。
結論は
・掃除は必要ないが、整理は必要
・全員に同じことを同じようにやらせることはできない時代
・日本らしさを1人1人が考える必要がある
です。
無言清掃についてはいらないでしょう。極論ですが、この問題を解決するのためには、もっと根本的は背景から考える必要があります。
一概にこれが正解だと出せない問題でもあると思います。
いろんなことが自由に選択できる世の中になってきたからこそ、超個人主義社会にならないと人の不満がなくなることはないでしょう。
ただ、そうなると社会として機能しないという問題も付随してきますが。
これをきっかけに、今まで当たり前だったことを考えてみてもいいかもしれませんね。
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