こんにちは、柴田崚介です。
大学院に通いながら、高校教師とサッカー部スタッフを両立していました。
※ 2020年度は修論専念中
先日、下記のツイートをしました。
教員が部活指導を行うということについて、もう少し考えた方がいいのかなと。
— 柴田崚介 (@ryosuke_studys) June 13, 2020
生徒の教育のために部活があるのであれば、教員がすべきことは競技指導よりも、人材育成であるとも思う。
となると、何をすべきなのか。
ブログにて深掘りします。
教員が部活指導を行うということについて、もう少し考えた方がいいのかなと。
生徒の教育のために部活があるのであれば、教員がすべきことは競技指導よりも、人材育成であるとも思う。
となると、何をすべきなのか。
ブログにて深掘りします。
教員にとって部活指導がブラックである。
これは、ずっと言われてきていることだと思います。
今回は、改めて「教員が部活指導を行うべきなのか」ということをテーマに解説していきます。
結論から言うと、学校教育の中の課外活動ですが、部活がある限り、教員が部活を指導し続けるべきだと思います。
ですが、部活の指導法を変えるべきではあると思ってます。
具体的には、生徒が主体の部活動です。
この記事を読んでいただければ、脱ブラック部活の指導法が理解していただけると思います。
では、詳しくみていきましょう。
YouTubeにて音声でほぼ同じ内容を喋っております。
音声で聴きたい方はこちらから↓
部活動の現状
部活動の現状についてみていきます。
何がどうブラックなのか、ここをもう一度整理してみましょう。
ほぼボランティア
部活の指導がブラックと言われる所以はそのボランティア性にあります。
何時間も拘束されているのにもかかわらず、もらえるのは交通費ぐらい。
いや、赤字ですw
その時間、その1時間でもっと稼げます。
これが、部活の指導をしたくない先生方にとっては苦痛にしかなりません。
単純に部活の指導もお金が授業と同じように、勤務時間内にされていてば、話は変わってくるのかもしれません。
と言うことは、部活には関わるんだけども違う方法を見出さないといけないのは言うまでもありませんよね。
少し、自分自身の話をします。
僕自身、サッカー部のスタッフを行っていたので部活がどれだけ大変かは理解しています。
やりがいを感じるのか。
僕は感じます。
生徒たちが、一生懸命努力している姿、プレー、素直に感動します。
最後の大会なんて泣きそうになります。
この「やりがい」というものに、生徒たちからの「先生ありがとう」に今までの苦労も全て飛んでいく気もします。
ただ、僕の場合は心の中で「自分の成長のためにこの時間を使いたい」とも正直思っていました。
関わりたいんだけども、今自分がすべきことはなんなのか。
その気持ちとのズレが、しんどい気持ちにもなりました。
部活指導は、気持ちが少しでもマイナスだと続かない、やりたくないものなんだなというのも事実だと思います。
授業の質の低下
教員として、一番は授業です。
部活指導に熱中しすぎて、授業がおろそかになっている先生方が少なからずいます。
それのもろに受けるのは、生徒たちであるということを忘れてはいけません。
部活指導のその根底にある世界は体育会系です。
実際に体育の教員がスポーツ系の部活指導を行っているケースが多いのではないかなと思います。
英語教員の僕からいうと、部活は体育教員が基準で作られた社会です。
つまり、体育教員であれば可能かもしれないけど、他の教科の先生方であれば不可能な働き方を強いられることがあるということです。
例えば、次の日の授業準備だって、体育教員と英語教員が同じ時間だとは思いません。(違っていたらすいません。)
先生は、社会を知らない。
これもよく揶揄される言葉だと思います。
先生として、生徒たちに関わる上で、自分が勉強を続けることをやめてはいけません。
部活指導に時間を奪われ、新しい勉強、知識を取り入れられていないのであれば、その働き方は変えるべきでしょう。
勘違いされている部活
部活動についての勘違いについて考えいきます。
「そもそも部活って?」
ここから見えてくるものがあります。
プロ育成組織ではない
部活動は教育的活動がメインである。
どこまでいっても、これです。
それが、部活動がプロ育成組織になっている部分が少なからずあるように感じます。
勉強を教えるべき教員が、担当している部活の分野でも専門家並みの知識が求められる。
教員なのに、審判までしないといけない。
おかしいですよね。
もう一度考えて欲しいのは、部活動の9割近くの生徒はプロにはなれないということです。
プロを目指して頑張るのはもちろんOKです。
ただ、現実としてプロになるのであれば、すでにその部活にいていいのかということも考えてください。
先生として、生徒が目指している世界へ導いてあげたい。
気持ちはわかりますが、教師がやるべき仕事はそこではないです。
社会に出たときにどんな人間になっているのか。
こっちでしょう。
先生が主役ではない
過去の記事でも書きましたが、部活指導のために教師になるべきではないと思っています。
部活動の主役はあくまで生徒たちで、あって先生ではありません。
先生の気持ちに生徒がついてくるのではありません。
生徒の気持ちにサポートするでいいはずです。
生徒はそこまでやる気がないのに、無理やりやる気を出させようとするなんて必要はありません。
困っている、悩んでいる生徒たちにそっと手を差し伸べる存在でいいんです。
間違っても、先生が主役になってはいけません。
新時代の部活指導法
冒頭でも、触れた通り、部活指導に教員は関わるべきだと思っています。
でも、その指導法を変える必要はあると。
具体的にどういうことなのか、一緒に考えていきましょう。
生徒の主体性を育む指導法
教師として、部活動に関わっていくべきで指導すべきは生徒の主体性の向上にあります。
生徒たちが自分たちで考え、工夫し成長していく、そんな環境を作るということです。
具体的には、練習メニューなどは生徒が考えるなどが考えられます。
生徒たちがその日の練習メニューを決める。
これだけで、生徒たちが主体的になります。
自分たちで考えているから、意識が違います。
言われているからやる。
から
自分たちでやっている。
この意識の定着を図るための仕組みを先生が担いましょう。
先生が自ら指導するというタスクが減るだけで、かなり楽になります。
部活指導は先生が指導しないといけないという固定観念を捨ててみましょう。
任せれるところは、生徒に任せてみる。
生徒のためにもなりますし、自分の負担を減らすことにも繋がります。
win-winですね。
外部指導員の地位の向上
教員の部活指導を本当の意味で楽にするには、外部指導員との連携が必要不可欠だと思っています。
外部指導員を有効活用していくという方法です。
現在の制度では、外部指導員の地位が低すぎて話になりませんが、職業としてやっていけるようになれば可能な話です。
先生として、生徒の主体性を育む部分に専念して、専門的な部分は外部指導員に任せる。
このスタンスが可能になります。
専門的な部分を任せることができるのであれば、どの部活を担当したとしてもやるべきことは統一されます。
教師として、求められる能力が統一されるので楽になります。
教育面にもっと関われるようになるということです。
まとめ
今回は、「教員が部活指導を行うべきなのか」ということをテーマに解説してきました。
脱ブラック部活の指導法をまとめると、
・教師としてすべきは人材育成である
→そのために生徒の主体性を育む指導を
・専門的な指導は捨てていい。
→ 最低限はいるけども、やるべきは迷っている生徒に手を差し伸べること
・任せれるとことは外部に任せる
→ 外部指導員の地位向上は必須かも
です。
部活指導はブラックと言われていますが、やりようによっては全然負担のないものにできます。
教師が部活指導のスペシャリストでもないといけないという考え方を捨てるだけでも、かなり楽になるのではないでしょうか。
今回紹介した方法、考え方をもとにアレンジして、部活指導に生かしていただけると嬉しいです。
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